東南アジアは、やはり果物がおいしいです。と同時にフルーツシェイクは 暑いアジアにおいて、まさにオアシス的存在の飲み物です。僕は個人的には バナナシェイクが大好きです。とまぁそんな話はおいといて、カンボジアの シェムリアップという街でシェイク屋に行った時の話をしたいと思います。 それは、もう夜9時くらいでした。僕は知りあった旅人達と夕食を食べて 気分良く、宿に帰るところでした。すると道端にシェイク屋がありました。 僕は、この頃一日3杯ぐらいシェイクを飲むようになってました。かなりの シェイクフリークです。そこで、みんな(僕を含め5人)でシェイクを飲も うと提案し、閉店するという屋台を無理矢理交渉し作ってもらうことにしました。 しかも、迷惑なことに5種類注文しました。 これはシェイク屋にとってはえらく傍迷惑な話でしょう。もう閉店準備をし ていたのに、いきなり押しかけてきて、さらに5人で5種類も注文するとは なんとも面倒臭い話です。ちなみに注文した種類は↓の通り 「マンゴー」 「メロン」 「キャロット」 「パイナップル」 「ジャックフルーツ」 「ドリアン」 そして、待ちに待ったシェイクが出てきました!!最初に出てきたのは!? 匂いで分かります。「ドリアン」でした。一同 「うわーやっぱりすげー匂い。匂いでなんだか分かっちゃうもんなー」 なんて言ってました。飲んでもやっぱりドリアンの強烈な味がしました。 そして次に出てきたのは、オレンジ色をしていました。 色からいくとキャロットかマンゴーでしょう。しかし!匂いが ドリアンです。 「あれ、これドリアンの強烈な匂いするよー。」 なんて言いながら取りあえず飲んでみました。微かにマンゴーの味と匂い のする ドリアンシェイクでした。 さらに、次もその次も出て来るシェイク 全てドリアン臭がしてドリアン味な のです。これは、このシェイク屋が一番最初にドリアンシェイクを作って、 そのジューサーを洗わずに次のシェイクを作ったのでドリアンの匂いと残骸 がジューサーに残ったままなのでドリアン臭&味がしてしまったのでしょう。 と言うことは、・・・・。そうです。 最後のほうになればなるほど前のフルーツの残骸と一緒にシェイクされるの で複雑かつ珍なるカラーとテイストになりなんとも言えないハーモニーを醸 し出してくれるのでした。しかし最後まで匂いを放ち続け、味を破壊し続け 強烈だったのは、やはり果物界の和田あき子ドリアン様でした。 とにかく飲むシェイク全てが未だかつてない不味さでありました。 ドリアンを一番最初に出した&ジューサーを洗わなかったのは、 やはり店側の僕たちに対するささやかな無言の抗議だったのでしょう。 |
僕は、旅をする時に、いつもハーモニカを持っていきます。 一人でボーッとしている時や現地の人々と触れ合うのには最 高の道具です。軽くて、ちっこくて、そして音が出る。 また、僕の旅は観光と言うよりは触れ合い色が強いかも知れません。 いつも、行ったその国の人々とサッカーをして遊びます。 サッカーは何処でもやっていてそして気軽に仲間に入れてくれます。 最初に「入れて!」と声をかける勇気があれば、誰でも入れます。 僕もアンコールワットなんて世界遺産の中でサッカーしてきました。 ちょっと写真のピントがあってませんが、後ろにあるのが世界遺産。 このように、サッカーをしたり、または↓のようにハーモニカを 吹くことで現地の人と商売ぬきの交流ができます。 客がきているのに気付かないお土産売りの少年たち あまりこういうことをしている人がいないらしく、僕が吹きは じめるとお土産売りなどがえらく集まってきます。 そして、凄い人だかりになり、みんな 「貸して!貸して!吹かせて!吹かせて!」 と言います。僕もお土産売りの子供たちが嬉しそうに気恥ずかし そうな顔をしているのを見るのが好きなので喜んで貸します。 こんな感じでなんだかとってもうれしそう。これはカンボジアでの話。 カンボジアの人たちはとても秩序があり、貸してあげるとみんな順序 よく、まわしてみんなで楽しんでいました。 しかし、むかし インドで、子供たちに貸した時は、みんなが一斉に奪い合いをして、 ハーモニカが地面に落ちてしましました。 そして、その落ちたハーモニカをみんなが 一斉に拾おうと「グワァっ」と押し寄せたために、 僕のハーモニカは、グニャグニャに踏みつぶされてしまいました。 そして、ぺしゃんこになったハーモニカを前に一同 気まずい雰囲気につつまれました。 さすがに、悪いと思ったのでしょう。 しかし、次の誰かが発した一言がやはりインド人でした。 「ノープロブレム。」(問題ないでしょ) そして、子供たちはその言葉とともにサァーっと何処かに消えていき ました。何をどーすると「ノープロブレム」になるのやら・・・。 |
旅をしていていろんな人と話すと「それは違うだろ!」ってことがあります。 カンボジアではこんな人がいました。その人と出会ったのはアンコールに 沈み行く夕日を見ようとプノンバケンという丘の上の遺跡に登った時でした。 彼は、物凄く体調が悪そうでした。物凄く日焼けをしていて顔は真っ黒でし たが顔色の悪さが見て取れます。チョット心配だったので話しかけてみました。 僕:「なんか顔色悪いけど大丈夫ですか?」 彼:「うーんちょっとゲリゲリ止まんなくてねー。」 僕:「大変ですねー。カンボジアでやられたんですか?」 彼:「いや多分インドで・・・。5日前までインドにいたんだよね。」 僕:「やっぱり飯があわなかったとかまさかガンジスで泳いじゃったとか?」 彼:「いや違う。多分手紙出したから・・・。」 僕:「えっ? 手紙ですか?」 彼:「そう、手紙」 僕:「それは、なにが、どーなるとそーなるんっすか?」 彼:「いやー切手っすよ。切手。舐めちゃったんだよねー。それで。」 僕:「・・・」 彼:「ほんと、切手には注意して下さいね。まじで。辛いっすよ。」 そりゃ違うっしょ。切手よりももっと色々原因が・・・と心の声は言っている のだが彼の真剣な眼差しを浴びていると何も言えなかったのです。 どこがどーなるとそういう結論になるのですかねー? |
さて、カンボジアでは長年の内戦などの影響で陸路移動には電車がありません。 そこで陸路移動の主役となるのが、日本からの払い下げのピックアップトラッ クです。ピックアップトラック(以下PT)とは良く?サーファーなどが乗り そうな日産ダットサンみたいなので車に荷台が着いている奴です。そして走っ ている途中で、どんどん客をつかまえては乗せて行く相乗りタクシー?の様な 乗り物です。主に現地の人が利用します。 ピックアップトラックの図 僕はプノンペンからアンコールワットのあるシェムリアップという町までは、 モーターボートで川と湖を4時間でかっ飛ばして行きましたが、運賃が25$ くらいとチョットお高めでした。そこで帰りは倹約して行こうと思い、PTに 乗ることにしました。車内料金は5$で荷台は3$でプノンペンまで行くと言 うのでネタ作りも兼ねて荷台で行くことに決めました。 さて朝6時半ぐらいに町で適当にPTを見つけプノンペンに行くことを確認し て荷台にさっそうと乗り込みました。この陸路移動については経験者から色々 アドバイス(脅し?)を聞きました。 「穴という穴にほこりが入って来る」「スキーのモーグルのようだった」 「悟りが開ける。何か考えたらおかしくなるから無心でしのぐしかない」etc まあ色々聞いてはいたが、現地人も乗っているのだから死ぬことはないだろう と思い何かが起こることへの期待と不安を胸に荷台に乗り込んだのです。この 時点で数えると荷台には17人が乗っていました。外人は僕と現地で知り合っ た友人の2人だけでした。さて車は出発。 町を出てからしばらくは、凸凹だけど路は一応舗装されていてラクチン?でした。 しかしやはり狭い荷台に17人と各自の荷物がある訳でそれなりに混んでいまし た。一時間ばかり走った所で車は国道からずれて農道を走り一軒の家の前に来ま した。そこで人が一人,二人と降りて行くので[やった!少しはすくぞ!]なんて思っ ちゃいました。しかし降りる人は一人二人ではなく3、4、5、6・・・10人 と降りて行って結局僕も降ろされてしまったのです。「?」何がなんだか理解で きません。するとPTの運ちゃんとその妻と見られるいかにも金の亡者と言う顔 をした客引きのおばちゃんがPTの荷台に米を積み出したのです。米というのは 100キロの袋に入っていて一袋でも人一人分のスペースを軽く消してしまいます。 そして、何回も運んできて結局10袋=計1トンもの米が狭い荷台につまれてしま い完全に人のいるスペースが無くなりました。それでもかまわず客引きゴオツク婆あ は乗れ!!というので取りあえず乗ってみた。全員がPTから落ちそうになりながら やっとのこさ乗っているのに、このババアはなんと 250CCのバイクを更に荷台に積もうとしだすのです。 これは絶対に無理です。米1トン人17人&荷物にどうやってバイクを積むのでしょうか? しかしババアは無理矢理積み込みます。これには僕も現地人もぶち切れて 「積めるかボケ!!(予想)」とマジ切れしてしまいました。 案の定バイクは積み込むことができませんでババアは悔しそうにしていました。 (この車に運転手,助手席にババア、後部座席に4人。 &荷台に米1トンと人間17人ですぜ。つらいっす。) さて、なんとかバイクの恐怖から逃れたものの荷台は物凄いことになっています。 僕はたまたま荷台の真ん中付近に座れた?のですが全くもって身動きが取れません。 ちょっと足の開いた体育座りのポーズをしていますが、股間には子供が一人寝てい ます。左のモモのつけ根にも子供が一人寝ています。そして何処からかおばちゃん の手が伸びてきて僕のズボンを掴んでいます。物凄い混雑ぶりなのでしかも米に占 拠されている荷台には柵がなく落ちそうな人がたくさんいるので誰かに捕まったり しているのですが、このおばちゃんはズボンを掴むだけでは不安なのか僕のズボン の下にあるもも肉まで「ギュッウ」と掴むので非常に痛いのですがこの手が誰の手 かも分からないので痛いよという意味でこの手を一回ひっぺがしてズボンだけ掴ま せようとしたらおばちゃんの手は更にぎゅっと俺のもも肉をつかみ出しました。 そのような手が四方八方から3本も来ていて滅茶滅茶痛いのです。そして友達もお 尻が荷台から半分出ていて凸凹で車が揺れる度に落ちそうになるので、首に手を廻 して彼を抑えていました。この時点で僕の足の上には何人かが乗っていて全く足が 動かせません。極めつけは後ろのおばさんが「邪魔だよ!」というメッセージなの か僕の左わき腹にずーっと肘打ちをくらわせ続けるのです。 抵抗しようにも僕の両手は友達を支えているのでどうしようもないし 足も埋まっているので動きようもないのです。 そして路は物凄い凸凹&強い日差し&ほこりで昼前にはけっこうヘトヘト になっていたのです。6時間くらい走ってようやく昼ご飯の時間になりましたが、 ずーっと足を人の下に敷かれていたのでしびれて荷台からなかなか降りられません。 やっと降りたのですが体中痛くて飯を食う気になれなかったので寝てました。そして 短い休憩が終わり再出発になりました。なんとかサッキより良いポジションをとろう と思ったのですが結局同じになってしまいました。もう皆ギュウギュウです。それな のにこのPTのババアは更に客引きをしだしたのです。これには現地人も再激怒!! しかしババアは構わず3人も乗せてきました。これで米1トン+20人です。20人 目はすわるスペースがなく立ったままでした。この異様な状況には路行く現地人も驚 き、そして爆笑していました。「お前らそれ乗りすぎだよー(予想)」たまにすれ違う PTの客や後ろから追い越すPTの客も同様に僕らのPTをみて爆笑して行きます。 そして先程と同じドラマがまた繰り広げられプノンペンについた時は出発から10時 間も経っていました。日除けのために頭に巻いていた白いタオルはこれでもかッてぐ らいにちゃいろくなっていました。そして宿を見つけてシャワーを浴びようと思い鏡 をみると、そこにはドリフの爆発コント後の様な真っ黒な顔をした野人が立っていました。 |