オレンジジュースとコーヒー

        アメリカへは研究で行きました。アメリカに行く前に
何度も海外旅行をしていて、アジア風な英語をそれなり
に話せるつもりだったので、別に言葉に対してはなんの
不安も持っていませんでした。

 しかしその僅かな根拠のある自信も日本離陸2時間
しないうちに見事にトイレに流されるトレペの如く、あ
っさりと流されていってしまったのです。

 それは、飛行機が離陸して2時間ばかりたった頃でし
ょうか、機内食の時間に差し掛かった頃でした。

僕の隣は、アメリカ人でそれまで、暇つぶしに雑談をし
ていました。この時は、
「ネイティブにも英語通じるじゃん」と思っていました。
そして、スチュワーデスが機内食を配って

ス:「飲み物は?(英語)」と聞くので

や:「オレンジジュース」と流暢な発音で言いました。

ス:「OK。ハイこれ!」

と差し出されたのは、鮮血の如く赤々と輝く

トマトジュースでした。

オレンジトマト・・・一文字もかぶってない・・・。

トマトジュースを手にしばし硬直していると隣の外人さ
んは、笑いを必死でこらえていましたが、僕と目があっ
た途端に我慢しきれずに大吹きだししてました・・・。
さて、そんなこんなで、まぁ聞き違えることもあるでし
ょうなんて軽く思っていました。そして第2回機内食

ス:「フィシュorビーフ?」

や:「ビーフ」

というとしっかりビーフの機内食が出てきました。
や:『おぉグットグット。俺の英語もばっちりやー』
なんて思っていた後に

ス:「なにか飲みますか?」と言われ

や:「コーヒープリーズ」

とこれまた自称流暢な英語で答えました。すると

ス:「ハイどうぞ」
と言って出てきたのは、コーラでした・・・。

2連敗を喫し、コーラを片手に固まっていると、隣の
外人さんは、今度はこらえる風もなく、いきなり爆笑で

外:「お前はほんとたのしませてくれるなー!!」

と涙ながしながらの大喜びでした・・・。
さて、そんなこんなでアメリカ入国。

僕は、オレンジジュースと普通に言うのではなく
抑揚をつけてオゥレンジジュースと言ったり
「コーヒー」ではなく「カーフィー」って言った方が
通じると、風の便りで聞いていたので、早速リベンジと
ばかりに、マックで使用してみました。

店員:「飲みもんなに?」

や:「オゥレンジジュース」(自信たっぷり)

店員:「は!?」

や:「オレェンジジュース」(超心細い:発音崩壊)

店員:「え!?」

や:「コークで・・・」(惨敗(涙))

店員:「OK!」

さてオレンジジュースで軽く敗退を喫した僕は
今度は、カーフィーで自信を取り戻すことにしました。

それは、郊外のビュッフェレストランでのことでした。
食べ物は自分で持ってくるのですが、飲み物は自分で
持ってきてもいいし、店員さんに頼んでもOKでした。

そこで僕は、今回「カーフィー」や「コーヒー」で通じ
なかったらそれこそ完膚なきまでに英語の自信を叩き崩
されてしまうので、ちょいと逃げて、ジャブとばかりに

や:「ホットカーフィー!プリーズ.」

と言いました。しかもホットを強調して。

店員:「・・・。OK!」(しばしの沈黙が気に掛かる)

しかし、いくらなんでもこれなら通じるでしょう。
熱いコーラなんて、いくらコーラ超大国のアメリカで
も存在しないでしょう。そして数分後、店員は

店員:「ハイどうぞ」といって軽く
泡がシュワシュワ立つ透明な
コップに入ったコーヒー

持ってきました。っていうかそれは紛れもなく

コーラでした・・・(1R開始5秒KO負け)

しかもナミナミと氷の注がれたアイスコーラです・・・
ここに来て、「コーヒー」ばかりか「ホット」すらも
通じなくなってしまっていました。


3週間の間にこんなやりとりが軽く10回ほどあったでしょうか。
そんなこんなで完全に自信をなくし、オレンジジュースと
コーヒー恐怖症に陥った僕でしたが、帰国直前の最後の最後で
このまま日本に帰ったのでは日本男児の名が廃るとばかりに
ラストチャンスとして空港のマックで最終戦にかけたのでした。

結果 惨敗・・・。

飲み物の説明をする度に店員は、
「なに?これ?」といろんなジュースを指差すのですが
ダイエットコークなど僕の最もいらないものなどを指します。
そして終いには僕の後ろに長蛇の列が出来てしまい、業を煮や
した店員は、適当にジュースを入れて僕に差し出したのでした。

飲んでみると、それは日本では絶滅品種に認定されている

チェリーコークでした・・・。

そんなわけで、惨敗に継ぐ惨敗を繰り返した僕は帰りの飛行機
では、ビビリまくって、日本語の話せるスチュワーデスを見つけ

「おれんじじゅーす下さい。」とささやいていたのでした。




仕事場にて

       僕が飛行機に乗っていてあることをすると必ず起こる
こと
があります。それは、

僕が飛行機のトイレ仕事(うん○)をしようとすると
飛行機は必ず揺れる!ということです。

そしてお決まりどおり、シートベルトサインが
「ポーンポーン」と音をたてるのです。

これはかなりの確率でおきます。その昔インドからタ
イに飛んでいる飛行機の中で上述の仕事に取り掛かろ
うと思って便器に座ったとたんに飛行機は揺れだしま
した。しかもかなりの揺れです。僕はトイレの中で

便器とロデオ状態でした。

暴れ狂う便器に必死にまたがっていようと足を踏ん張
りバランスを保ちます。こんなことをしているので、
仕事はそっちのけです。そっちのけならさっさとズボ
ンをはいて仕事部屋(トイレ)から出ればいいのですが
何故かこのような時に、そういう合理的な考えには至
ることができません。



そして必死に便器を乗りこなした頃には、すっかり当
初の仕事に対する生理的欲求もおさまってしまって、
何しにトイレに入ったのかはもとより、何のためにあ
んなに必死に便器を乗りこなしたのかの意味すらわか
らない状態になっています。

しかもこんなことが一度や二度ではないのです。

そして、今回。アメリカからの帰りの便でのことです。
僕の席は一番後ろの席の一番右の窓側でした。この席
はとてもトイレに近く、また窓際で外も見られるし、
通路側の席の人に断らなくても、窓側の隙間からトイ
レに行けるという素晴らしい席でした。

シカゴを飛びったった飛行機は順調に飛行を続け水平
状態になりました。しばらくして、念願の機内食のお
時間です。メニューは、普通の牛の料理とパンなどで
した。目新しい(?)ものといえば日本ソバくらいでしょ
うか。冷たいソバでつけ汁が別の容器に入っていまし
た。そしてこのソバこそが今回の事件の元凶となる事
を僕はこの時点では全く気付いていませんでした。

食事の最中に、僕は押し出し効果、別名ところてん効
により、トイレに行き大きな仕事をしたくなりまし
た。今回の席はとても容易に移動できたので食事中で
したが仕事場へ赴きました。そして「さぁ!」と思っ
た時に、またもや飛行機が揺れだしたのです。

しかも今回もかなりの揺れです。例の如くシートベル
ト着用サインの点灯です。普段ならここからロデオの
スタートなのですが、今回は半端な揺れではありません。
あまりの揺れにスチュワーデスが外からドアを叩き、

「大至急席に戻れ!」

と言うのです。確かにこの揺れはただ事ではなさそう
です。しかも幸運にもウンはまだ出ていない状態でした。
そこでガッタガタに揺れるトイレから脱出しました。
そこで僕が目にした光景は・・・

スチュワーデスが、通路で両脇の席に必死にしがみつ
き、ひざまづいて身をかがめ、僕に向かって

「どこでもいいから、そこの近くの席に早く座って
 シートベルトを締めてください!早く!!」


と叫んでいる
のです。こんなスチュワーデスの姿は今
迄みたことありません。さらには機内食を運ぶワゴン
がそこらに放置されて傾いたりしているので、近くの
乗客が必死にそれを抑えている
のです。こんな光景も
今まで見たことがありません。

そして席に戻ろうと思ったのですがあまりに揺れてい
るので窓側からヒョイっと戻ろうにも戻れず、通路側
から隣の人にどいてもらって座ろうと試みたのですが
隣の人は、

「こんな状態じゃたてないよー」

と冷たく言い放ち、僕はウロウロしていました。一瞬
揺れがおさまったと思ったので、窓側から戻ろうとし
たその時!!

突然、最大の揺れが飛行機を襲い、僕の機内食が吹っ
飛びシートの背もたれにぶつかり、逆さまになってシ
ートに落ちた
のです。そしてその機内食のプレートに
は、オレンジジュース、水、ソバツユなどの液状の物
が満載だったのです。

席に戻りたかったのにさらに席に戻れない状況になり
ました。スチュワーデス以下乗客全員が座っているな
か立ったまま食器を片付けて、ぬれたシートを自分の
席の毛布と枕で吸出し、やっと席に座ることができた
のでした。

それからの9時間は、そばつゆオレンジジュース
奏でる見事なまでに異質なハーモニーに包まれ、周囲
からは白い目で見られ、最悪のフライトとなりました。
また、次に出てきた機内食はなんとジャパニーズ・ウ
ドン・ヌードル
(赤いきつねと書いてあった)だった
ので、しっかり完食し、汁も乾杯してからトイレに赴
いたのはいうまでもないことでしょう。

とっくに手遅れって話もおおいにありますが。

アメリカ出国

        いきなりですが出国です。アメリカ編を書くのにまだ
入国の所も書いていないのに出国のお話しです。

僕はアメリカのシカゴから車で3時間ほどカッ飛ばした
ところにいました。使った空港はシカゴ空港です。
そして使った飛行機会社はユナイテッド航空を使用しま
した。さて出国に際してまず、チェックインです。

ユナイテッドと書かれた看板の所にいきチケットとパス
ポートを出しました。
この時僕は網膜が剥がれていて視界が異常に狭いのと、
このせいかどうか分かりませんがちょっとだるかったの
と、一ヶ月の缶詰研究生活から開放されたことで緊張感
がゆるんでいた事が重なり英語を全く聞く気がありません
でした。

このチェックインカウンターで何やら幾つか質問されま
したが、どうせ

「禁煙だけどいいか?」とか
「預ける荷物はないか?」とか
聞いているのだとおもったので、全く係員のいうことを
聞かずに適当に
    

「イエース」「イエース」

答えていました。

すると係員は不可解な顔をしたのですが、僕のあまりに
ふ抜けてやる気のなさをみてか、問題なくチェックイン
が終わりました。

普通ならその後、出国審査があるのですが、この空港で
はいきなり、手荷物検査が始まったのです。ここも適当
に通過。そして何処で出国審査するのかなーと思って歩
いていると、すんなり飛行機の出発カウンターに着いて
しまいました。

「あれ?出国審査は?出国のスタンプも押してない。」
そこで僕は、思い返してみました。アメリカは出国の時
スタンプを押さないと仮定するとさっきのチェックイン
の時に同時に出国審査が行われていたのではないだろう
か?そう思ったので後から来た先輩に聞いてみました。
すると確かにあそこが出国審査を兼ねていた事が分かり
ました。先輩は

「英語しゃべれるか?」と聞かれ
「イエス」と答えたものの
「ペラペーラ〜?」としゃべくりまくられ
「?」となり、日本語の書かれたボードを差し出され
イエス、ノーで答えろと言われたらしいのです。
そしてそのボードには、なんとこんなことが書かれて
いたらしいのです。

「誰かに怪しげな荷物を渡されましたか?」

「空港で自分の荷物から目をはなしましたか?」

「ワシントン条約に違反する物を持っていますか?」
などなど。

そして、僕はこの質問を英語でしゃべられ、全く理解
せずに、

職員:「誰かに怪しげな荷物を渡されましたか?」

「イエース!」


職員:「空港で自分の荷物から目をはなしましたか?」

「イエース!!」


職員:「ワシントン条約に違反する物を持っていますか?」

「イエース!!!」


ともし本当なら即行逮捕ものの受け答えをカマして
しまったのです。

これでさっきの職員の怪しげな顔のわけが分かりまし
た。しかし僕のあまりにやる気のない受け答えに職員
がコイツはただ頭が悪いだけだろうという判断を下し
通過させてくれたのでしょう。めでたし。めでたし。


入国カード

       さっ、出国の話の後ですが入国です。出発前から渡されていたアメリカの
入国カードを機内で書きはじめました。すると我が目を疑うような文章
数々がそこには書かれていたのです。それは↓な感じです。

下記のいずれかに一つでもあなたに該当するものがありますか?

A.伝染病にかかっていますか?麻薬常習者ですか?

B.破廉恥罪を含む犯罪あるいは規制薬物に関する違反を犯し、逮捕された
 ことあるいは有罪を宣告されたことがありますか?2つかそれ以上の犯
 罪を犯し、合計5年以上の禁固宣告を受けたことがありますか?


 規制薬物の不正取引をしたことがありますか?犯罪行為あるいは不道徳
 な性行為
を行なう為に米国へ入国しようとしていますか?


C.今まであるいは現在スパイ行為,サボタージュ,テロリスト活動もしくは集
 団虐殺に従事、参加したことがありますか?あるいはしていますか?
 1933年から1945年の間に、如何なる形であれ、ドイツ・ナチ政
 府やその同盟関係諸国に関連して迫害に参加していましたか?



こんなこと書いて誰かが素直に答えると思っているのでしょうか?
アメリカ入国管理局のみなさんは。

特にCの「スパイ行為をしていますか?」に素直に丸を付けるのは、泥酔
したオヤジか亡命希望のスパイぐらいなものでしょう。
逆に丸をつけたほうが怪しまれないかもしれません。

ちなみにこれは日本語で書かれていたものです。
僕の訳がおかしいと言うわけではありません。

いやーしかしアメリカネタないなー。なんならこれで終わりかもしれません。

※日本ではサボタージュ=さぼる。で怠けることですが英語では器物破損とか
 そう言う意味で使われるみたいです。

年齢不祥

        アメリカではお酒を飲んでも良い年齢は21歳以上らしいです。
そしてこれが、日本などとは比較にならないくらい、チェックさ
れます。
スーパーとかで買う場合は良くわかりませんが、お店で
お酒を飲む場合は必ず、身分証のチェックが入ります。

明らかに、21歳以上と思われる人は店員の判断により身分証の
チェックはありません。しかし日本人はアメリカ人からみたら
く見える
ようで、ある店では、研究室の32歳になる助手の先生
も身分証の提示を求められました。

その店に行った時、僕と先輩は年齢を証明するような物をみにつ
けていないことに気付きました。ちなみにこのとき、先輩は24
歳。僕は23歳でした。僕たちは、唯一証明出来るパスポート
アパートにおいてきてしまっていました。

そして僕がもっていたのはバンコクで今年の1月に作った19歳
の学生証です。これを提示したらお酒は飲めません。

先生が身分証のチェックをされている時に、僕はどうしようかな
ーと考えていました。そして先輩の番が来て先輩は見事パスポー
トを取りに帰されました。当然、先輩よりも年下の僕も取りに帰
されるだろうと思っていましたが、店員は、失礼にも!

「あなたは見せなくて結構よ。」

と優しくも冷たいお言葉を言い放ったのです。
これはいったい・・・

32歳の先生や皆、僕より年上の先輩陣がチェックされていくな
か日本人でチェックされなかったのは、

僕と39歳の助教授だけでした。

老教授の悲劇。レ・ミゼラブル

       さて、アメリカでは研究室によってかなり力の差があるようです。
日本でも多少はあるでしょうが、アメリカではあからさまでした。
アメリカの大学は研究室が企業からお金をもらって研究をしていた
りするので、企業からお金のもらえるような人気のある分野の研究
室はかなり設備も立派です。

僕の行った研究室も企業からたんまりお金を頂いているようで、設
備は万全。教授は若いのに超豪邸に住み、夢のような生活をしてい
て、ドクター過程の学生は全員結婚していて学生なのに給料をもら
って
いて、一軒屋に住んでいたりするのです。

しかし、人気のない研究室は大変そうでした。畑に出て実験をして
いると、ある日突然畑の真中に溝ができていました。実験も大詰め
にきている時にこの溝は、以上に邪魔でした。掘った犯人は、農業
土木関係の研究をしていて、よく畑で会う度にいつも優しく話し掛
けてくれる、とても人がよさそうな老教授でした。

  
       
        コーン用トラクタと実験?風景

この事を、僕達の研究室の若い教授に言うと、血相を変えて飛びだ
して行き、この老教授に向けて、激怒しはじめたのです。
どうやら、最初の約束では、僕らが現在使っている畑は、この老教
授の研究室と共同で使用するはずだったのですが、若い教授は溝を
掘るとは聞いてなかったらしく、老教授をまくし立てています。

老教授も本当は溝を掘る権利があるのに、若くて力のある教授にお
されて、ひたすら謝りまくっています。するとこの若い教授は、

若教授「おまえもろとも溝を埋めてやる!」

と言い放ったのです。さすがアメリカ実力の世界・・・・?
するとこの老教授は、

老教授「わかった。出来るだけ早く工事終わらせるから、1週間で。」

と言ったのですが、若い教授は

若教授「だめだ。2日で終わらせろ」

と無理難題を言うのです。そこで老教授は

老教授「わかった。4日で終わらせるから」

と歩み寄りをみせたのですが、若教授は

若教授「だめだ。2日で終わらせろ。」

と全く妥協しません。そこで、老教授は

老教授「わかった。なんとかがんばってみるよ。」

といって、早速作業に取り掛かったのでした。ちなみにこの日は木曜
日でした。翌日の金曜日、畑に出てみると老教授以下研究室の学生総
で、溝を掘っています。溝を掘って排水用のパイプを埋めるらしい
のですが、どう考えても間に合いそうにありません。
ちなみに力のある若教授の研究室では、こういう肉体労働系はお金を
だしてバイトを雇って働かせてます。

さて、老教授自ら穴を掘りましたが作業は残り2日ではどう考えても
終わりそうにありません。しかし翌日の土曜日
老教授は学生が土日休みで手伝ってくれないので、家族総出で穴を掘
りはじめました。奥さんらしき人、息子、息子の奥さん、孫とさなが
らピクニックにでも行くようなメンバーで猛暑のなか穴を掘っている
のです。しかし若者の手が足りないらしく、作業はあまり進んでいま
せんでした。その頃若教授は自宅の庭にあるジェットバスにつかりゆ
るりとリラックスでもしていた事でしょう。

さて、翌日の日曜日、畑に行くと今度は老教授ただ一人だけになって
いるではありませんか!これはあまりに酷です。どう考えたって作業
が進むわけがありません。しかも作業はすべて手作業で、機械は使用
していないのです。この日昼休みに老教授と話をしていた時に、なに
かの用事で老教授の車に乗せてもらったのですが、これがまた・・・
若教授は大きくて新しい立派なバンに乗っているのですが、
老教授は15年ぐらい前のホンダのシビックに乗っているのです。
かなりぼろぼろで車内は汚く、助手席のドアは開きませんでした。

一応大学の教授なのに・・・

しかし、この日この老教授は嬉しそうに

老教授「見てくれ。やっとパイプが届いたよ。これでもうすぐ作業が
    終わるから。」


と僕らに言ってきたのです。良かった。良かった。と思ったのですが
しかーし!!真の悲劇はここから始まったのです。

この日の夜、物凄い嵐がこの地方を襲い、一晩中大雨が降りつづけた
のです。そして翌日、僕らが畑の具合を見に行くと、そこには!!

大雨によって溝が堀のように水をナミナミとたたえているではありま
せんか!しかもいろんなところで溝が見事に崩壊し埋まっていたりす
るのです!!これではパイプを埋めるもへったくれもありません。

この排水用に掘った溝は排水用のパイプを埋める前に水没してしまっ
たのです。完全に計画崩壊です。

そして、買ったばかりの排水用パイプはそこらに山積みとなったまま
放置され、これ以降、老教授が畑に顔を出す事はありませんでした。
あんなにがんばって家族までかりだしたり、一人で穴を掘ったりした
のに、もうちょいで完成だったのに、さぞショックだった事でしょう。
見事なまでに運のない老教授の悲劇・・・。あぁ無情。レ・ミゼラブル。