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  • 闘病日記そのX  手術台へGO!2


          というわけで、お見舞いのおかげで入院生活も楽しく過ごさせてもらい
    ました。また、なにもかもがはじめてなので無知で恐怖心がなく乗り切れ
    たということもあると思います。手術にしてもそうですし、手術の後、穴
    の開いた網膜をレーザーで撃って焼き付けるって時も、病室のおっちゃん
    たちから色々痛いだのなんだのって聞かされてました。

    が、僕の中でレーザーっていったらスターウォーズの世界のオレンジ
    の光しか想像できなかったので、自分の目の中にレーザーを撃ちこまれて
    いる時も、明るい光を目の中にあてて検査してるんだろうと思っていたら、
    それがレーザー治療でした。だから、ちょっと痛いかなと思いましたが、
    それは、レーザーが痛いのではなくて、手術直後だから痛いんだと思って
    いたのです。

    で、ただの明かりでも痛むんだから、これから撃たれるレーザーはどんな
    に痛いのかと思っていたら

    先生:「はいおわりー」

    って言われて

    僕 :「あの・・・レーザーは?」

    先生:「えーっと47発撃ちこみました」

    僕 :「え!?もう終わったんですか?」

    先生:「・・・・。」

    なんて僕には良くありがちトンチンカンなやり取りになったのでした。
    そして病室に戻ると、おっちゃんらが寄って来て

    「どう?痛かったベ?何発撃たれた?」
    とちょっと嬉しそうに聞いてくるのですが

    「どれがレーザーか分からぬままに47発も撃ちこまれてました・・・。」

    と答え、彼らの予想を大きく裏切るのでした。

    そんなわけで無知ほど楽なものは、なかったのですが1週間後の右目の手術
    のときは、全て手順をしってしまっているので、これが結構怖かったわけで
    あります。またあのチョクチョクって目ん玉切られる音を聞くのか・・・と
    思うだけで背筋が寒くなってまいります。しかも左目より右目の方が症状が
    重いらしく、手術時間も長くなるようでした。

    そして手術の日。また例によって看護婦さんが手術の時間と順番を告げにき
    ました。

    看護婦:「えー今回の時間は、大体3時30分頃からです。
         えー今回の順番は、11番目です。」


    や  :「えっ? 十一番目ですか?前より一人増えてますね・・・」

    看護婦:「そうね。白内障の患者さんが多くて大変なのよねー」

    や  :「また僕が一番最後ですか?」

    看護婦:「そうね。結構大変らしいから」

    や  :「・・・。」

    てなやりとりがまたありました。そして時間が来て手術室へGO!
    前回は全く無知でしたし、時差ぼけもあったのですが、今回は1週間の入院
    生活で、生活のリズムは万全になってました。ですから、小心者の
    僕にとってはかなりの恐怖でした。

    そして、手術スタート!!
    また、例のメスが僕の右目に迫ってきます!!
    もう目をつぶりたいくらい怖いです。でもつぶれません・・・・
    そして無抵抗のままメスで目を切られて チョクチョク・・・・
    前回は結構痛いとは思いながらも麻酔効いてるなーって思ってたのですが
    今回は、うそっ!?ってくらい非常に痛いんです!!!

    しかし、痛いと叫んでも痛みが和らぐわけでもなく、手術をしなくても
    済むわけでもないので、全身に力をいれて、手は血が出るくらいグーを固く
    握り締め、背筋に力を注ぎ、足も筋肉モリモリに力を入れて指先がつるぐら
    い足指でグーをつくって、必死に耐えてました。
    とても長い長い時間が過ぎていきます。

    先生の色々な話が聞こえてきます。

    先生:「ここか?ここだな。いやーこれはかなりはがれてるなー」

    などなど、今回はかなり真剣モードなやりとりがずっと続いてます。
    寝たいけど、寝られない・・・。
    人間そんなに便利に出来てないなと思いました。
    そして、もう痛みがピークに達したかと思ったとき、例の会話がまた・・・

    先生:「そういえば、結婚式の招待状返事出した?」

    助手:「えぇ出しました。」

    先生:「俺も出席にしておいたけどホント面倒くさいよねー」

    助手:「全くそうですよねー」

    や(心の雄叫び):「頼むから手術は面倒くさがらずにお願いしますー!!」

    もう、痛くて唇かみ締めて血がでるかって感じなのに、先生は

    先生:「山下君は、サッカーやってたんだっけ?」

    なんてふってくるのです。緊張をやわらげようとしてくれてるのかも知れま
    せんが、答えるどころではありません。

    と言いたいのですが、小心者の僕は、答えないのは失礼だと思い

    や :「はい。小学校からずっとやってます。」

    などと「はい」だけでも良い所を修飾などして答えてしまいました。

    すると先生は、僕が必死になって答えてるのを、余裕があると勘違いして
    ますます色々な話をふってきます。

    先生:「ねー痛くないの?普通みんな痛いっ!とか叫んだりするよ」

    や :「痛いです。スゴク。でも痛いって言っても痛いので言いません。」

    なんて会話が続く続く・・・・
    間違いなく人生で一番頑張ってトークした時間でした。
    その後も先生は、克明に手術の進行状況をレポートしてくれます。

    先生:「今ねーシリコン入れてくっつけてるところ・・・」

    などなど。(この辺は必死だったので詳細はうる覚えです)
    僕も必死に応答しましたが、何を言ってたのか余り覚えてません。
    ただ覚えてるのは、こんな状況でも笑わせなくては!と思って必死に
    笑わそうとしてたのですが、ことごとくサムイことしか言えなかった
    ということです。

    そんなわけで、手術時間が何分だったか覚えてませんでしたが、

    先生:「はい!終わったよー」

    と言われ

    や :「ありがとうございましたー!お疲れ様でーす」

    バイトが終わった後みたいな会話で手術を〆たのは覚えてます。

    そして、術後・・・
    全身に全力で力を入れつづけたので、ヘトヘトになってました。
    そして、病室に戻ってきて、眠ろうと思ったら友達がお見舞いに来て
    くれたので、せっかく来てくれたのに寝てたらいけないと思い
    必死に受け答えをした記憶があります。

    そんなわけで、自分の小心者っぷりがある意味頂点を極めた一日でした。

    そして、後日。またレーザーを撃ちこまれる日がきました。
    この時は、レーザーがなんたるかをしってたので、今日は何発撃ちこま
    れるか自分で数えてやろうと思っていました。

    そしてレーザーを撃ちこまれる部屋へ。
    レーザーを撃ちこまれる台にあごを乗せて固定するのですが、
    なぜか今日に限り固定する紐が壊れていました。

    これでは痛いと思って身を引いたら逃げられます。しかし逃げたら意味が
    ないので痛いと思っても自分の意思で必死に耐えて固定しなければならな
    かったのでした。これは大変でした。ミリ単位でレーザーを撃っていって
    いるのでちょっとでもそらすことが出来ません。
    右足で左足をつねりながら必死に耐えて数えて行きました。

    すると前回の記録47発を軽く越えて行きます。
    「50、51 ,52、53・・・・」
    止まる気配がありません。
    「60,61,62・・・・」
    まだまだ止まりません。
    結局100発を遥かに突破して
    137発
    撃ちこまれたのでした。
    そんなわけで、恐怖の2回目の手術が終わりました。
    ここで僕は心の底から

    「絶対再発だけはするまい」

    と誓ったのでした。



    闘病日記そのY  早すぎる退院の真相


          さて、2回目の手術がおわり、すっかり良くなってるはずなのですが
    なにせ手術直後なので、目がうまいこと開きません。左目の手術の後は
    まだ右目が手術前だったので、左目に眼帯をして、眼鏡をかけて、右目
    で物を普通にみることができました。

    しかし、両目手術したあとは、眼鏡もかけることが出来ないので、眼帯
    を外したばかりの左目で暮らさなければなりません。これはかなり大変
    です。まず、視力がかなり落ちています。また、うまいこと開かないの
    で、長い事物をみることも大変です。しかも視力が安定しないので、
    まい
    が頻繁に訪れます。そして、まぶしさに異常に弱くなっています。

    こんな辛い状況でしたが、お見舞いに来てくれた皆さんのおかげで、毎
    日楽しくすごすことができました。しかし、時には(いや毎回かも)盛
    り上がりすぎて、入院中の患者さんから叱られたり、看護婦さんから叱
    られたり、リネン係(シーツや寝巻きを用意する人)のおばちゃんから
    叱られたりしていました。

    というわけで、一応気をつけてはいたのですが、やはり人数が増えてく
    ると盛り上がってきてしまうのでした。

    また、もともと奥二重ではあったのですが、手術を終えたら、二重にな
    っていたという特典もありました。しかし、目が良くなるにつれて、
    普通の奥二重に戻りました。戻ると言えば、まつげ。手術の時にまつげ
    を切られました。元々僕は顔に似合わずまつげが長くて、顔のパーツで
    まつげのみがキュートでした。その自慢の?まつげがばっさり断髪され
    てしまったので、二重でまつげがないというとっても見なれない顔に
    なっていたのでした。しかしこれも、不思議と伸びてきて元の長さに
    なると、ピタっと成長が止まるのでした。

    さて、普通、網膜剥離の患者さんは最低でも片目で1週間、両目だと軽く
    2週間以上で、20日くらいは入院すると言われていました。僕も両目
    網膜剥離だったので予定では16,7日入院すると言われていました。

    しかし、右目手術の翌朝の検診の時、先生が僕の目の中を見ながら

    「いやーすごいなー治るの早いなー」

    つぶやいてました。そして翌日の検診の時も

    「いやーほんと治るの早いなー。びっくりだなー」

    ささやいてきました。そして翌日の検診の時

    「いやーほんと若いって良いねー。これならいつでも退院できるねー」

    語りかけてきました。そして、翌日...
    僕は入院から11日、右目の手術から4日目という異例の早さで
    退院となったのでした。

    退院することは非常に嬉しかったのですが、目が思うように開けられ
    ない状況での一人暮らしにはやや不安を覚えました。

    なぜ、こんなに早い退院となったかは定かではありませんが、野人的
    回復力よりも、なによりも
    廊下でのお見舞い合コンの連続が病院全体の感情を逆撫でしたことが
    一番の原因だったと思っています。

    そして、見事早期退院を果たした僕でしたが、家に戻ってきても、目を
    使うことは禁止だったので、本読めないテレビ見れないパソコンで
    きない
    、昼間の外はまぶしいので歩くの怖い、夜は暗くて見えないので
    歩けないという、がんじがらめに会い退院したのでお見舞いにきてくれ
    る人も激減し、家で入院生活よりも瞑想以外することのない
    修行のような生活がはじまったのでした。




    次回  闘病日記最終話 その後・・・